2010年全国考研日语真题
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日语203
I.基礎知識(20点)
次の文章を読んで、1~20の問いに答えなさい。答えは選択肢からもっと適切なものを1つ選びなさい
電車の中で席を譲るのが昔から得意ではない。若い頃は、席を譲るという状況に陥らないように、よほど車内が空いているとき以外は座席に座らないようにしていた。
座らなかった理由はそれだけではない。いささか潔癖症のがあったので、電車の座席に座ること(1)、好きではなかったのである。
だからつり各につかまっているとき、前に座る人が次の駅で(2)ようすを見せると落ち着かなかった。斜め横の人が、私が座ろうとしないのを確認して、すっと座ってくれればいいのだけど、そうならない場合 は、私の前 の席 が空いた(3)になってしまう。
混んでいるときは、電車内の(4)を有効 に使 うのがマナーというものだろう。そう思って仕方なく席ったが、私は知らない人の体温が残っている席に座るのが苦手なのであった。
そんなことが何度(5)あると、自分なりの対処がわかってくる。 前の席が空きそうになったら、自分も一緒にさりげなくドアの方に向ってしまえばいいのだ。そして、電車が再発車する(6)、また新しい身の置き所を探せばいい。
とまあ、このような対処をしていたのは、30代の後半くらいまでだった。そのうち本格的に体からだ がくたびれてきて、潔癖症も薄れ(7)。疲れているときは(8)座りたいという気持が勝かつようになった。そして実際 、席が空いていたら座らせ(9)ようになった。
さて、席を譲るのが得意ではない、という話に戻るが、明らかなお年寄り(10)、迷うことなく譲れるので問題はない。「どうぞ」「ありがとう」というスムーズな流れになる。しかし微妙な感じのお年頃ってありますよね?そういう方(11)った場合 、みなさんどうしていらっしゃるのだろう
お年のようにも見えるけれど、年齢不詳の雰囲気があって、うっかりを譲ろうとずると「私はそんな年とし ではありません」と、機嫌損そこ ねられそうな気もする人 。
あれこれ考えずに、迷たときは、とりあえず声 をかけてしまえばいいのかな。みなさんはどうしてますでしょうか。
(1)~(11)に入れるのにもっとも適切なものはどれか。
1.自我自己自分自体
2.降りそうな降りそうで降りような降りようで
3.わけはずままべき
4.スケートスペーススピードスカート
5.かでがに
6.まででまでにあとであとに
7.てみたていたてきたておいた
8.けっしてたぶんべつにやはり
9.てしまうてもらうてくれるてあげる
10.ならではとしてはとしても
11.からをにより
12.文中の「座らないように」の「ように」と同じ使い方ものはどれか。
バスボートをなくさないように自分で気をつけてください。
彼は、怒ったように黙っていますが、どうかしたんですか。
私たちは兄弟のように思われますが、実際はちがうんです。
中古車だが、大事にしているのでまだ新車のように見えます。
13.文中の「私が座ろうとしない」とは、どういう意味か。
座りようがない
座ろうと思わない
座ろうにも座れない
座りたくてしようがない
14.文中の「自分なり」の「なり」と同じ使い方のものはどれか。
彼は妻の言いなりになっているが、会社では威張っている。
その銀行なら、この道なりにまっすぐ行くと右側にあります。
彼女は家に帰るなり、自分の部屋に閉じこもって出てこない。
子供なりに一生懸命にやったのだから、誉めてあげましょう。
15.文中の「30代の後半くらい」の「くらい/ぐらい」と同じ使い方のものはどれか。
そんなことくらい子供でもわかる。
挨拶ぐらいしてくれればいいのに。
この道を五分くらい行くと、大きな川があります。
それぐらいのことなら、自分でもできるでしょう
16.文中の「お年頃って」の「って」と同じ使い方のものはどれか。
鈴木って人に会いました
うわさって、怖いものだ
17.文中の「どうしていらっしゃる」の「いらっしゃる」の意味にあたるものはどれか。
いる くる ある いく
18.文中の「損ねられ」の「(ら)れる」と同じ使い方のものはどれか。
そんなに早く起きられないよ
社長は明日アメリカへ行かれる
その子は母にしかられて、泣き出した
子供の時の写真を見ると、昔のことが思い出される
19.文中の「陥らない」の「陥」の読み方はどれか。
おとし おち おちい おり
20.文中の「苦手」の読み方はどれか。
くて にがて くるて くしゅ
II.読解(55点) A.次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40の問いに答えなさい。答えは答えは選択肢からもっと適切なものを1つ選びなさい。(2点×20=40点)
[一]
人間が心に思ことを他人に伝、知らせるのには、いろいろな方法がある。例えば悲しみを訴えるのには、悲しい顔つきをしても伝えられる。物が食いたい時は手で食う様子をして見せても分かる。その他、泣な くとか、叫ぶとか、嘆息たんそく するとか、殴なぐ るとかいう 手段しゅだん もあって、急な、激しい感情を一息に伝えるのには、そういう原始的な方法の方が適する場合もあるが、しかしやや細かい思想を明瞭に伝えようとすれば、言語に頼るしかない。(ア)ということは、外国へ旅行してみると分かる。
なおまた、言語は他人を相手にする時ばかりでなく、独りで物を考える時ときにも必要ひつようである。我々はあたまの中で「これをこうして」とか「あれをああして」とかいうふうに独り言を言い、自分で自分に言い聞かせながら考える。そうしないと、自分の思ていることがはっきりせず、まとまりにく。皆さんはまた、孤独を紛らすために自分で自分に話しかける習慣がある。強い物を考えようとしなくとも、一人で寂しくいる時、自分の中にあるもう一人の自分が、自ふと囁きかけてくることがある。それから、他人に話すのでも、自分の言おうとすることを一遍心でい言ってみてから口に出すこともある。我々日本人が英語を話す時は、まず日本語で思い浮かべて、それを頭の中で英語に訳してからしゃべるが、母国語で話す時でも、難しい事柄を述べるのには、しばしばそういうふうにする必要を感かんじる。それゆえ言語は思想しそうを伝達する機関であると同時に、思想に一つの形態を与える、まとまりをつける、という働きを持っている。
そういうわけで、言語は非常に便利なものである。(イ)人間が心に思っていることなら何でも言語で表わせる、言語をもって表白できない思想や感情はない、というふうに考えたら間違いである。いまも言いうように、泣ないたり笑ったり叫んだりするほうが、かえってその時の気持ちにぴったり合う場合がある。さめざめと泣くほうが、くどくど言葉を費やすよりも千万無量の思いを伝える。もっと簡単な例を挙げると、鯛の味を分からせるように説明しろと言ったら、皆さんはどんな言葉を選ぶか。おそらくどんか言葉をもって も言いあらわす方法がないであろう。そのように、たった一つの物でさえ伝ることができないのであるから、言語というものは案外不自由なものである。
21.文中の(ア)に入れるものはどれか。
言語があってもなくても自由
言語がないとどんなに自由か
言語があってもなくても不自由
言語がないとどんなに不自由か
22.文中「自分の中にあるもう一人の自分が、自ふと囁きかけてくる」とはどういうことか。
自分の中で役割分担を決めて、一人二役を演じるということ
自分の気付かない性格が、自然と現れて話し出すということ
頭の中で自然に言葉を使って自分自身で対話するということ
自分の中に別の人が入り込んで、その人と対話するということ
23.文中の(イ)に入れるものはどれか。
しかし それに だから したがって
24.この文章の内容に合わないものはどれか。
言語は他人に自分の思想を運転することに限らず、ほかの役割ももっている
泣いたり笑ったりすることは言語より気持ちをぴったり伝えることができない
細かい思想を明白に表したり、運転したりするに言語は欠かせないものだ
言語がなければ思想を表せないが、言語があってもすべてを表せるわけではない
25.この文章の主旨はどれか。
言語は急激で、激しい感情を一息に伝えようとする際にはあまり有効ではない
言語は気持ちを伝えたり、思考をまとめる機能があるが、それには限界がある
言語は算術や幾何の問題を考える時に役に立つものであるから、大切である。
言語は複雑な思想をまとめることができ、かつそれを運転する優れた手段である
[二」
外国のものの移植でいちばんはっきりしているのは、翻訳である。外国語を母国語に移すというのは、思考の移植にほかならぬ。外国語の初歩の学習者はなんでも訳せると思っているが、外国語で訳すことができる部分はごく一部だというのがほんとうのところである。単語一つでも翻訳不能のものがいくらでもある。このごろ日本でも使われるようになったプライバシーという語にしても、まだ訳語ではない。このままカタカナの日本語になる気配もある。
単語もそうだから、文章やもっとまとまった書物の単位での翻訳となると、理論的にはきわめて困難であると言わなくてはならい。しかし、現実には、すぐれた翻訳が出ており、それによって、読者は啓発されたり、感動させられているのである。そこに、移植の神秘があるように思われる。
ところで、このごろ、翻訳家になりたいという若い女性が増えている。これまで、翻訳とか翻訳家と言えば何となく文学的な文章を訳すことを想像したものだが、最近はもっと実用的な翻訳のことを考えているらしいのも変化である。翻訳が芸術から技術になりつつあるのかもしれない。その技術者としての翻訳家に憧れる人たちが多くなったというわけである。翻訳を技術なりと割り切ると、ひとつの言語に盛られている思想内容を別の言語へ移し変えるのが、ここで言う物理的移動に近くなるのは自然の成行きであろう。移動の技術さえ優れていれば、何でも横のものを縦にできるように錯覚する恐おそれがある。それで外見上は翻訳されたようでいて、その実、翻訳ではないものがますます増えるかもしれない。優れた思想や技術はしばしば、分の間、国人の近接を拒む。それがやがて少しずつ分るようになって、しっかりした翻訳が生まれるまでになる。この間、30年くらいは要するのである。
さらに理解作用そのものが、他者を自分の精神の土壌の中へ定着させようとする移植の作業であるということもできる。あるときどうしてもわからなかったことが、何年かして、突如として、氷解するというような経験をするのはめずらしくない。これも、移植したものが、そのときになってはじめて、を確保して、新しい組織の中で芽を出したことを意味するのではあるまいか。
ほんとうに優れたものは、しばしば、生まれた時代や社会に適合しない。他所へ移してもなかなかすぐには新しい活躍をはじめない。一種頑固なところ、こわばりをもっているのである。それでいて結局、移植、移動、翻訳、理解などの困難な変化に耐えて、の不滅の生命を得るようになるのである。真ほんとうに優れたものが、たとえ時間はかかっても、人間の心から心へ移植できるということは、考えてみればすばらしいことである。
26.文中「そう」の指すものはどれか。
理論的には難しいこと
書物単位の翻訳は難しいこと
翻訳不能のものはほとんどないこと
翻訳不能のものがいくらでもあること
27.文中「技術者としての翻訳家」の説明として、もっとも適切なものはどれか。
外国語を技術的に自国の言語に置き換えることだけを重視する人
個々の単語に盛られている意味ではなく、作品全体の思想を訳す人
文学的な文章ではなく、技術関係などの実用的な文章だけを訳す人
言語の移動技術さえ優れていれば、何でも翻訳できると思っている人
28.文中に「優れた思想や芸術は……外国人の近接を拒む」とあるが、それはなぜか。
外国人に理解されるまで時間がかかるから
その思想や芸術が時代には適合しにくいかた
その思想や芸術の言語が翻訳不能であるから
異なった言語が外国人の理解の障害になるから
29.この文章の内容に合っているものはどれか。
技術的翻訳が優れていれば、外国文化を理解するに充分である
ほんとうに優れたものは、しばしば評価されるまで時間がかかる
外国文化の移植は、言葉の物理的移動によって可能となっている
ほんとうに優れたものは、生まれて直ちに認められるものである
30.翻訳について筆者の考えに合っているものはどれか。
外国語を母国語にすることは、言語の移植にほかならない
外国語で訳せない言葉は一部あるが、ほとんどは翻訳できる
外国語を母国語に訳すということはじつは考え方の移植である
翻訳不能のものもいくらかあるが、単語なら問題なく翻訳できる
「三」
開業医をしていた私の父が、診断書を書く時の心得について、「向う二週間の安静加療を要する」というふうい書かないで、かならず、向う二週間「の安静加療を要するものと認められる」と書くように、繰り返し言っていた。
文末に「られる」をつけるべきである、というのである。もし診断書が法定に持ち出された場合、「られる」のあるないは医師の立場に微妙な差違をもたらす。要するに断定的な表現が用いてあれば、医師の診断とくに何日間治療しなければならないかという点が、絶対に動しがたいものとして受け取られる恐れがある。そのためその医師が後に引けない場面に追い込まれることもあり得る。それに対して認「められる」を加えておけば、一週間と書いたものが四日で治癒しても、いか月かかってもそれほど治療日数の多少に(ア)言「いかえると、言「要する」という表現。は科学的な客観的な判断を示すのに対して、「要する」と「認められる」ほうは判断の本人である主観的な「私にとってはそう感じられる」、したがって「他の人は別な判断をするかもしれないし、私の判断が絶対的な動かしがたいものであるとはかぎらない」という含みを持つから、万一の時に変な責任を負わなければならない心配がない、と大体だこういう理由であったらしい。
何でも、これは父自身の意見ではなく、その恩師から受けた教えであると聞いた.法廷でこのような表現の差が実際に問題になったという例を私は聞いたことがない。したがって、医師の診断書にも世人は寛大であって、それほど厳しく誤差を追究しないのが常である。まして「られる」のあるなしによって医師の立場が微妙に変化するとは想像できない。られる」私の父が信じていたほどには効能を持「はっていなかったのではなかろうか。
(イ)文末に「られる」を使うか使わないかによって文意に微妙な違いが出て、くることを、はっきりと意識し、その使い分けを実行するという習慣がかつてあったことは、とにかく興味のあることである。個人差はあるが現在でも日本人の判断の様式に、「られる」の有無が意識下では常に吟味され、「である」と断定するか「であると思われる」とするかによって、話して手も文意の強さ弱さの微妙なちがいを計算している。あるいは、「られる」の表れ方によって話し手の人柄までが推測されていることもある。あってもなくてもよいというものではなく、「られる」は今でも退化しないで、その機能を果たしているのである。その点で、診断書の文法は、成長して言葉の問題に取り組むようになった私には忘れがたい思い出としてよみがえってくる。
31.文中の「微妙な差違」とはどういうことか。
患者の判断と医者の判断との差違
医者の判断が主観的か客観的かの差違
患者の治療日数が多いか少ないかの差違
医者の判断が科学的か非科学的かの差違
32.文中の(ア)に入れるものはどれか。
責任を持たざるを得ない
責任を持たなくてもよい
責任を持つべきではない
責任を持たないほうがよい
33.筆者は父の診断書の言葉遣いについてどう考えているか。
父の診断書を厳しい平価、追究したくない
父の恩師が教えたもので、効能があると思う
父のような診断書の書き方は、やめたほうがいい
父は信じていたが、それほど効能があるとは思えない
34.文中の(イ)に入れるものはどれか。
たとえば それとも けれども あるいは
35.診断書の「られる」の有無について、父の考えに合っているものはどれか。
世人の寬大さが違ってくる
話し手の人柄まで推測される
患者への診断が異なってくる
医者の責任が変化する可能性がある
「四」
にんげんには、身体的なエネルギーだけではなく、心のエネルギーというものもある。同じ椅子に一時間すわっているにしても、一人でぼーと坐っているのと、客の前で坐っているのとでは疲れ方がまったく違う。身体的には同じことをしていても「心」を使っていると、それだけ心のエネルギーを使用しているので疲れるのだ、と思われる。
このようなことは誰でもある程度しっている。そこで、人間はエネルギーの節約に努めることになる。仕事など必要なことに使うのは仕方ないとして、不必要なことに、心のエネルギーを使わないようにする。となってくると、人間が何となく無愛想になってきて、生き方に潤いがなくなってくる。他人に会う度に、にこにこしていたり、相手のことに気を使ったりするとエネルギーの浪費になるというわけである。ときに、役所の窓口などに、このような省エネルギーの見本のような人を見かけることがある。まったく無愛想に、面倒くさそうに応対をしているのである。そのくせ、疲れた顔をしたりしているところが、面白いところである。
これとは逆に、エネルギーが有余っているような人もいる。仕事に熱心なだけではなく、趣味においても大いに活躍している。他人に会うときも、いつも元気そうだし、いろいろと心づかいをしてくれる。それでいて心、それほど疲れているようではない。むしろ、人よりは元気そうである。このような人たちを見ていると、人間には生まれつき、心のエネルギーをたくさん持っている人と、少ない人ひととがあるのかな、と思わされる。能力において、人間に差があるように、心のエネルギー量というのにも生まれつきの差があるのだろうか。これは大問題なので、今回こんかいは取りあえず自分自身のことを考えてみよう。たとえば、自分は碁がすきだとしよう。その碁を打つために使用される心のエネルギーを節約して、もう少し仕事のほうに向けようとして、碁を打つ回数を減らしたとしたら、果たしてどうなるであろうか。あるいは、今まで運動などまったくしなかったのに、ふと友人に誘われてテニスをはじめると、それがなかなか面白い。だんだんと熱心にテニスの練習に打ち込むようになる。そんなときに、仕事のほうは、以前よりも能率が悪くなってうるだろうか。案外、以前と変らないことが多い。テニスの練習のために、以前よりも朝一時間早く起きているのに、仕事をさぼるどころか、むしろ、仕事に対しても意欲的になっている、というときもあるだろう。
もちろん、ものごとには限度ということがあるから、味に力を入れれば入れるほど、趣仕事もよくできる。などと簡単に言えないが、ともかく、エネルギーの消耗を片方で押さえると、片方で多くなる。というような単純計算が成立しないことは理解されるであろう。片方でエネルギーを費やすことが、かえって他の方に用いられるエネルギーの量も増加させる、というようなことさえある。 以上のことは、人間は「もの」でもないし「機械」でもない。生きものである、という事実によっている。
36.文中に「一人で……疲れ方がまったく違う」とあるが、その理由としてもっと適切なものはどれか。
心のエネルギーの使用の度合いが異なるから
心のエネルギーの分量に個人的差があるから
心のエネルギーの調節がうまくいかないから
心のエネルギーの存在を意識していないから
37.文中に「面白い」とあるが、何がおもしろいのか。
無愛想にしすぎて、疲れた顔をしていること
エネルギーを使いすぎて、疲れた顔をしていること
心の潤いがなくなってしまって疲れた顔をしていること
エネルギーを使っていないのに、疲れた顔をしていること
38.文中「テニスの練習のために……ときもある」の意味として適切なものはどれか。
一方でエネルギーを使うと、他方で使うエネルギーの量が減ったり増えたりするということ
一方でエネルギーを出し惜しみすると、他方でもエネルギーをうまく使うことができないということ
一方でエネルギーを使えば、かえって他方で使うエネルギーの量が増加することもあるということ
一方でエネルギーを出し切ると、他方で使うエネルギーが新たに溢れてくることが多いということ
39.エネルギーについて筆者の考えに合っているものはどれか。
心のエネルギーは使わなければ、身体的エネルギーに変換できる
身体的エネルギーの消耗を押さえれば、心のエネルギーが多くなる
心のエネルギーは使わなくても、身体的エネルギーには変換できない
身体的エネルギーの使用によって心のエネルギーは増加することもある
40.この文章の主旨はどれか。
人間は、さまざまな活動をすることで、新しい心のエネルギーを得ることができるようになる
人間は、心のエネルギーの浪費を少なくするために、できるだけ身体的エネルギー
人間は、努力さえすれば、心のエネルギーと身体的エネルギーの両方を得ることができるようになる
人間は、仕事を充実させるために、不必要なことに心のエネルギーを使わないように心がけるべきである
B.次の文章の下線のついた部分を中国語に訳しなさい。(3点×5=15)
41.商品名、つまり商品名を指示するだけのブランドには、価値は生じない。消費者にとって、交換の対象は商品そのものであって、商品の名前は「問題の商品を、他の商品と区別する」とか、あるいは「その供給者はどこかを示すために識別する」だけの信号にすぎない。その意味で、ブランドのこの効果を「識別効果」と呼んでおこう。記号だから、それは別に符号でも数字でもか まわない。
42.しかし、一度、商品名そのものが独特の意味をもったメッセージを発することになれば、つまり、商品名がブランドとなれば、つまり、商品名がブランドとなれば、事態は一転する。商品を実際に手にしたり目にしたりすることがない消費者でも、消費名を聞けばその商品のことがわかるというのだから、商品名が商品から独立し、自立した存在となっている。
43.商品名が知れわたること、あるいは商品名を通じてその商品の中身についての理解が消費者のあいだに浸透することは、商品名の価値にほかならない。それは、商品名の「知名理解効果」と呼んでいいだろう。それだけで、広告宣伝のためのコストを節約できる。
44.「LV」「シャネル」やのマークが入ったTシャツがそれなりの値段で売れる理由は、そうしたブランドが独自の意味世界という価値をもっているからである。そうしたマークがつくことによって高くなった価格分は、その意味世界への入場料でもある。
45.言い換えると、ブランドが、その商品に特有の意味を付着させることによって、消費者の欲望を満足させ、独自の「意味世界」を創造するということである。そうなれば、市場における他のブランド商品群との競争において優位性をつくったということになる。
III.作文(25点)
46.次の指示にしたがって、450字~500字の作文を書きなさい。 ゴミの分類はすでに多くの国々で実施されているが、我が国ではまだ一般的に広がっていない現状にある。ゴミの分類は必要か、どのようにすればよいか、このことについて、あなたの考えを作文に書きなさい。 注意:①漢字を使うべきところは漢字を使うこと ②「だ·である」体で書くこと
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